女の本能

 

「あの、先程は声をかけてくださってありがとうございました」

 

 

小さく会釈をした。

 

 

すると男は落ち着きのある、低すぎない声で、いえと短く返してきた。なんだかその声が妙に色っぽかった。

 

声だけなのに、身体がぞくっと粟立つのを感じた。

 

 

「ちょっと色々あって、つい飲みすぎたみたい。みっともないとこ見せちゃった」

 

 

 

自嘲の笑みを貼り付け、ショルダーバッグを肩にかけなおしながらそう言うと、男がこちらを向き直し口を開いた。

 

 

 

「直人って、彼氏ですか?」

 

「えっ……?」

 

「うわ言みたいに何度も呼んでましたけど」

 

 

 

……嘘。私、うわ言言ってたの?しかもそれを聞かれていたなんて。

 

いや、語弊か。狭い店内だ。彼にしてみれば聞きたくなくても聞こえたのだろう。

 

 

「……正しくは昨日まで彼氏だった人の名前、かな」

 

 

ヒールの先を見ながらポツリとそう言った。

 

すると男は、あぁだからかとなにか納得したように呟いて、そして私を見てニヤリと笑った。

 

 

「セックスしたいって、そういうこと」

 

 

平然とそう言って、暗闇で妖艶に笑う男。サーっと血の気が引いた。酔いも冷めているはずなのに、視界もぐらりと揺れている。

 

あぁ、私のいつもの悪い癖だ。恥じらいもなくそんなことを口走るなんて。

 

 

「ごめん、忘れて」

 

「どうしてですか?」

 

 

……どうしてって。この人も酔っているのだろうか。

 

 

 

「酔ってたのよ。気にしないで。じゃあ、私はこれで失礼します」

 

 

「相手がいなくて困っているなら、俺がしてあげますよ、セックス」

 

 

 

帰ろうと歩き始めた私の後方から思いがけない台詞が聞こえてきて、自然と足が止まった。

 

ゆっくり振り返ると、そこにはいたって真面目な顔で私を見つめる男の姿。

 

 

……いったいなんなんだ。ゲームにでも誘うような感覚なのだろうか?だいたい初対面でしょ?私達。

 

 

 

「悪いけどそんな冗談に付き合っている暇ない……」

 

 

「俺は本気ですけど」

 

……え?

 

 

「きゃっ、」

 

 

男は近づいてきたかと思うとすぐ、憮然とする私の腰に手を回し、強引に引き寄せ私を腕の中へ閉じ込めた。

 

その力は見た目からは想像できないくらい強くて、私を包み込む胸も肩も骨ばっていて逞しかった。

 

 

そして至近距離で私を見つめる瞳は、オスの目をしていた。魅惑的で、エロティックで。自然と引きつけられてしまう。

 

 

……この人。声だけじゃなく、顔も無茶苦茶いいんだ。

 

 

 

「大人の男女がセックスするのに、理由がいります?」

 

 

 

当たり前のことようにそう問われ、彼の腕の中で無意識に首を振っていた。

 

 

知っている。

 

 

この年になれば男女が交わるのに理由なんてたいして必要ないということ。

 

そしていい男に抱かれたみたいと思うのは、女の本能だという事も。